今、この墓地には1人の方が来ています。

いすゞ自動車の元社長、西谷忠邦様がお亡くなりになりました

2017年12月21日

今まで9人の人がこの方のお墓参りに訪れました。

いすゞ自動車の元取締役、西谷忠邦様が12月4日にお亡くなりになりました。

島根県生まれ、現在は横浜に在住していたようです

時事通信:西谷忠邦氏死去

島根県出身。葬儀は9日午前11時から横浜市旭区東希望が丘242の三ツ境奉斎殿で。喪主は妻紀子(みちこ)さん。連絡先は同社秘書グループ。(2017/12/05-17:51)

島根県といえば、米沢牛や赤てんなどの特産品がありますね…

とてもおいしそうですが、管理人はまだ食べたことがありません。(↑赤てん)

いつか食べてみたいなー。

株価31円台だったいすゞ自動車

アジア通貨危機、生産ラインの高コストによる競争の激化により、2000年にいすゞ自動車の業績は大幅に悪化。

やむなく、いすゞ自動車は大幅なリストラを行います。(この時いすゞ自動車の販売台数は56万台から16万台に減少していました)

株価の底値は2002年に付けた31円。もういつ倒産してもおかしくない状況です。

しかし、当時の社長:井田氏は生産拠点を通貨危機によってインフレと不安が残るタイに残したまま業務を続けることを選択します…

その時の方針は『ディーゼルエンジンとトラックに集中する』ことでした。不振な家庭向け乗用車を切り捨て、部品の調達コストがかかるタイに生産拠点を置いたままで業務を行うことはハイリスクハイリターンと言えるのではないでしょうか。

 

アジアで活躍するいすゞ自動車

しかし、その後は商社の協力と現地人を日本に研修させた甲斐もあり、業績は急速に回復。また、ライバル会社が通貨危機で撤退している時期にタイに地盤を作ったこともあり、アジア周辺ではひと際存在感を発揮する会社となったのでした…

最後に…

故人様の活躍や業績を自分なりに調べてみましたが、残念ながら情報が記載している資料が少なく私の力では見つけることができませんでした。申し訳ございません。

しかし思うですが、いすゞ自動車が危機にあった時、故人様を含めた皆が協力して会社を再生させたのは間違いありません。

管理人の実家のトラックもいすゞ自動車で良い車でしたし、これからも良いトラックを作ってくださることを願います。

あなたはこの方が亡くなったと聞いた時どう思いましたか?

故人への想いの数々

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(まだ、このお墓は誰にもお花を捧げられていないようです。
……おや?あなたは5つも花束を持っているようですね?
どうですか?最初に故人様にお花を捧げてみませんか?
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